前回の記事はこちら。
メンタルダウンのタイミングで管理職への昇進を打診された。
これはある意味最悪のタイミングと言えるわけですが、では仮にメンタルダウンをしていなかったら。
もちろん管理職への昇進を断るはずもなくめでたく昇進していたはず。
そして順風満帆なサラリーマン生活を送れたはず。
人間わがままなもので症状がすっかり回復し、一般職という身分で年を重ねるにつれ、そして同期の順調な出世を見るにつれそんな思いが強く沸き上がるようになっていきました。
そんなある日のこと、「ちょっとこれからいいですか。」と突然上司から声をかけられました。
そして上司の後について会議室に入ると、
「実は現在米国駐在中のA君の後任としてあなたを考えているのですが。」
と切り出されたのです。
そして、
「駐在にあたっては課長職の身分で行ってもらうつもりですがどうでしょう?」
との一言が。
もちろん今回は断るはずがない。
同期からは周回遅れの管理職ではあるがこれでようやく自分も一人前になれた。
その喜びとともに新天地へと飛び立ったわけですが、現地での生活をスタートするとあっという間にそんな喜びが吹き飛んでしまった。
日本でほとんど経験がないまま管理職というポジションについた自分にとってその業務はあまりに過酷だった。
しかも部下は全員現地の人間。
日本人のような遠慮と言うものを知らない。
不満はどんどんぶつけて来る。
そして悲しいかなそれを受け止めるだけの語学力が当方にはなかった。
これに加えいわゆる中間管理職としての板挟み、しかも駐在員として日本本社との間での板挟みも加わった上に時差の関係上連絡・会議は夜遅くになってしまう。
必然的に長時間労働の日々を続けるにつれ、
「やはり自分には管理職としての業務は無理だ。この語学力では現地ローカルとうまくやっていく自信がない。上司にはもう失格の烙印を押されているに違いない、、、」
との不安感がつのり、やがて睡眠障害を発症。
ただ今回は、
「これはまずい。」
と思いメンタルクリニックを受診。
運よく日本人カウンセラーのカウンセリングを受けることができたのですが、いっこうに症状は改善せず。
しかし、自分が病を抱えていることはどうしても上司には言い出せなかった。
管理職として失格の烙印を押されたくなかった。
この状況をカウンセラーに説明すると、「あなたの症状が改善するには日本へ帰国するしかありません。あなたから上司には言いにくいでしょうから私から手紙を書きます。」
と手紙を手渡されました。
「この手紙を渡せばすべてが終わってしまう。」
という思いはもちろんありましたが、正直今の苦しい苦しい生活から一刻も早く抜け出したかった、いや逃げ出したかった。
結局上司に手紙を提出。
こうして駐在員生活は二度目のメンタルダウンとともにあえなく終わりを告げることになったのです。
次回に続きます。
(病をおしての出社にあたってはくれぐれも自己責任でお願いいたします。)
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おはようございます。
他人事ではない物語ですね。
健康をとるか、仕事をとるか、、
今なら迷うことなく健康をとりますが、
正直数年前の自分なら仕事をとり、、
身体と心が壊れるまでは突進したと思います。やはり、本業以外の世界、給与以外の収入をいかに確立するかは、自分の健康へのリスク分散としてもホントに重要ですね。
ウィニングチケットさん
こんにちは。
本業以外の収入が確立されていない場合、やはり仕事を取る人が多いのではないでしょうか。
その意味でできるだけ若い頃から収入源の多角化を図ることが大切、と若い方に声を大にして言いたいですね。