昨年60歳で定年を迎え、現在は無職という名の自宅警備係となっている当方。
現役時代の最後の数年は窓際職としての日々を送ったことはこのブログでも折に触れて書いてきたところです。
今振り返ると自分の場合は出世とは縁遠い道を歩んでいたとあらためて思います。
もちろん出世できなかったことは自身の能力不足が原因であることは間違いありません。
ただ自分の場合若い頃、具体的には40歳位までは「自分が出世できないのは決して自分のせいではなく上司を始め回りのせい。」と信じて疑いませんでした。
若気の至りと言ってしまえばそれまでですが、今思うと全く恥ずかしい限り。
ただ実はそんな自分にも出世のチャンスはあった。
しかしそのチャンスを自身でつぶしてしまった。
という苦い過去がある。
その理由がメンタルダウン。
あれは40歳を過ぎた頃、担当業務がマックス状態の日々が続く中、重要な仕事で大きな失敗をしてしまった。
それは部門を超え会社に金額的な損失を与えてしまう失敗。
そしてその失敗が頭の中から離れず、気分は落ち込み不安感はつのり、やがて睡眠中の寝汗や睡眠障害を起こしついに仕事に行くことができなくなってしまった。
今から20年前は現在のようにメンタルヘルスなどという言葉も、メンタル不調に対する理解も、近くにメンタルクリニックも全くない時代。
内科医院を受診し自律神経失調症と診断されとりあえず2週間休養したのですが、薬を処方されることもなく出社。
しかし2週間程度の静養ではとうてい回復するはずもなく、その後やや症状は改善したものの不調は続いた。
ただそんなことを口が裂けても上司に言えるはずもない時代。
そんな状況のある日、課長への昇進を打診された。
通常であれば断る理由などない。
通常の精神状態であれば。
「自分にはとてもそんな重責を担うことなんてできない。」
「また失敗したらもう会社にはいられない。」
そんな不安な気持ちがさらにメンタル不調を増幅することに。
結局昇進の道を自ら断つことになったのです。
当時は昇進を断るなんて考えられない時代。
幸いなことにそんな時代にあって直属の上司は他部門への異動を命ずることもなく、業務負荷が少ないポジションに変更してくれた。
そのおかげで徐々に通常の精神状態に戻ることができたのです。
しかしいかなる理由があるにせよ、当時は一度昇進を断った人間にもやは昇進の道はなし。
その後の数年間は「専門職」という名の一般職の身分でのメンタル的には平穏な日々が続いたのでした。
再びメンタルダウンがやって来ることも知らずに。
次回に続きます。
(メンタル不調下の出社にあたってはくれぐれも自己責任でお願いいたします。)
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出世はサラリーマンにとっては、とても大事で組織におけるポジションが全てと言っても過言ではないですよね。
しかし、自分の人生においては単なる生計を得る手段。
サラリーマンとは、生計をウルトラ手段の一つであり、組織が人生の全てではない。この発想も投資をする前は全く無かった発想です。平日はもちろん朝から晩まで組織のために、土日祝日も関係なし。ほぼ家にいるより組織のため。そんな価値観が当たり前でしたが、今は世界が違って見えます。昇進、出世、減私奉公、深夜残業、早朝出勤、土日祝日の事務所通い、、、、、
もちろんリモートワーク、事務所でなくてもいつでも業務がデキル環境というのもありますが、価値観が以前と大きく変わって来ているなぁと思います。
やはり大きな要因は投資の存在。コレが大きい。
投資は副業から、今や本業と五分五分、いやもはやソレ以上に育ちつつあります。ありがたい。今年中はまだとして近い将来、せめて数年以内には組織から自分の時間を取り戻したいと思っています。そう、フリーという身分、立場。
ウィニングチケットさん
おはようございます。
投資を知ることで会社・組織が収入を稼ぐすべてではない、人生のすべてではない、ということに気づきます。
問題はその後会社と投資のバランスをどううまくとるか。
その意味でウィニングチケットさんは趣味でストレスを解消しとてもうまくバランスを取っているように見えます。
きっと近い将来フリーという身分、立場に移行できると思います。
☓ウルトラ➡◎売る単なる
こんにちは。
やりたいことと向いていること、そして自分の限界を知ることがサラリーマン生活をしていて体を壊さない秘訣なんでしょうね。
とはいえ、僕も一度メンタルをやられてしまったことはあります。
新卒で入った会社で、自分ができることが部下にできないことが堪忍袋の尾が切れるくらい許せない人で、何人も体を壊して辞めてしまっているプレーイングマネージャーの上司に当たった時には流石にやられました。。。
結果的にはその会社とは音楽性というか感性が合わなかったので1年半でバイバイしてから、ソフトハウスに5〜6年勤めた後に今の会社にいます。
今の会社では基本はリモートワークですが、時たまアメリカ大陸の国々に呼ばれたり、欧州に出張したりしています。
海外出張もなかなか面白いですよ。飛行機の乗り継ぎまではバリバリ日本語が聞こえていたのに、乗り継ぎ先では英語+その航空会社の大多数の旅客の第一言語な感じのアナウンスに切り替わる様子とか面白いです。
中米に行った時のアメリカンエアラインでは英語+スペイン語の機内放送でしたし、欧州→ドバイでは英語+アラビア語でした。
投資もやりつつ、技術の勉強と語学の勉強も並行して行ってます。
30歳を過ぎてから英語を話せるようになったり、スペイン語の初級の文章が読めるようになったりと、まだまだ引退するには惜しい感じですね。
ひろーさん
そんな上司にあたればメンタルダウンしても致し方ないですね。
ひろーさんのコメントを読んでいて当方も欧米を始めメキシコやブラジル等の海外出張で同じような経験をしたことを思い出しています。
英語もさることながらスペイン語までものにしようとしているなんて素晴らしい。
ひろーさんは仕事が充実しているようでなによりです。
そんな辛い状況だったんですね。
この記事しか読んでないので、アレですが、この選択だからこそ、今の健康を取り戻せたのかもと思ってしまう自分もいて。
まー、私もあの時会社を辞めなければなーとか。
家族からは辞めてなければ、その後よりも、あの時死んでたかもと。
まっ、過去には戻れないですから。
楽しく行きましょう♫
ロイさん
辞めてなければ、その後よりも、あの時死んでたかもと。とはそんな状況だったのですか。
過去には戻れない。そのとおりですね。
正直者さんにそんな過去があったとは、、、
40歳を過ぎた頃と言えば、投資でも嵐の時代だったはず、、、
(少数の”私の投資履歴書”愛読者なら思い浮かぶはず)
https://naobito.net/category/mypersonalhistory/
その裏にはこんな背景もあったのですね。
その時の上司、いい人でよかったですね。
そだおさん
お久しぶりです。お元気そうで何よりです。
昔の記事を掘り返していただきありがとうございます。
仕事も嵐、投資も嵐、そんな時代でした。
独裁的な厳しい上司でしたが今思えば情には厚い人でした。