お気づきの方もいると思いますが、
当ブログ記事の一番最後に必ず書かれている文章は?
と言えば、
「投資にあたってはくれぐれも自己責任でお願いいたします。」
(記事の内容によって一部変更したりしていますが。)
そう、投資はあくまで自己責任。
どんなに大損して、
「まったくあんな記事を信用して投資するんじゃなかった!」
とか、
「あんな人間の言う事なんかうのみにするじゃなかった!」
と言って騒ぎ、恨んだところで損をしたのは自分。
失ったお金が他人から戻ってくることはありません。
そもそも自分の投資の失敗を他人のせいにしているようでは、株式投資で成功することはありません。
かく言う当方も投資を始めて間もない頃は、まさに自分の稚拙さを棚に上げ、他人を責めることで自分の責任だと認めることから逃げていました。
そんな株式投資といういわば弱肉強食の世界で時には痛い目にあいながらも順調に資産を増やしていくと、自己責任の意味を真から理解できるようになっていきます。
ただこの自己責任の世界に長く身を置くにつれ、自分の中である違和感が大きくなって行くことに気づきます。
それが会社での違和感。
当たり前の話ですが会社は組織で動きます。
社長、それもオーナー社長や会長にならない限りは、自分一人だけですべてを決められるわけではありません。
ものごとは組織の中での合議によって決定されます。
だから例えばAとBという案があって「自分は絶対にA案がいい!B案なんかじゃ大失敗するのが目に見えてる。」と思っても、会社としてB案で行こう!と決定されればそれに従わねばなりません。
しかし、その結果B案で大失敗し、会社が赤字に転落。
今期のボーナスはゼロ、になったとするともちろん全員責任でB案が良いと思わなかった自分もボーナスはゼロになってしまうのです。
「って、そんなの当たり前でしょ!それが会社というものなんだから。ましてやA案が成功したかどうかもわからないわけだし。」
って、確かにそれはそうなのですが、投資で成功を重ねた人間ほど、
「自分は絶対にA案でやりたかった。たとえA案で失敗してボーナスがゼロになったとしても、全く後悔はない。でもB案でボーナスはゼロは納得できない!」
という気持ちが強くなるのです。
会社、特に日本の会社組織の場合責任の所在が非常にあいまいです。
極端な会社の例で言えば、上に行けば行くほど失敗に対する責任を取らない。
ましてや決してクビになったりしない。
それどころか、場合によってはその責任を下に押し付けてしまう、というか下に押し付けることが正当化されてしまっている。
特にオーナー色が強い会社やぬるま湯体質のいわゆる仲良しクラブの会社程この傾向が強くなると言えるのではないでしょうか。
そう、責任を他人に転嫁できる世界。
さらに言えば、転嫁して尚且つ給料が増えてしまう世界。
株式投資とはまさに対極にある世界。
それが会社(特に日本の)という組織。
株式投資と会社(勤務先)との間に感じるこの違和感。
それは2つの世界に身を置く人間がぶち当たる壁、と言っても良いかもしれません。
(本業と投資の両立にあたってはくれぐれも自己責任でお願いいたします。)
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記事で仰る通りの事が3日前に起きましたwww
社長から○○様の売り掛け残が多い。
どう思っているのか?と言われて
どう?って私じゃなくて本人に聞いたら?
と言ったら売ったのは君だろ?回収してこい。
と言われました。
会社と買い手の売買契約でしょう?訴訟でもしたら良い。
債権回収が業務なんて聞いてないけどね。
と言ったら睨まれた。回収するのも仕事だろって言われた。
面倒事を会社にブッ被せる為に
ピンはね容認で会社員やってんだよ。ば~か。ってね。
因みに投資で即日でもリタイア可能な状況になってます。
どっちも無責任ww。それでも社会は廻り続ける。
トップが責任を取らず、責任の所在があいまい、場合によっては下に押し付ける。
日本の会社で行われていることを伺い、まさにテレビ新聞て報道されている日本の政治の世界の話を聞いているように思うのは気のせいでしょうか。
ジュンナンさん
もちろん上がきっちりと責任を取っている会社もあるのかもしれませんが、少なくとも”業績の悪化が続いているにもかかわらずトップを含め役員がそのまま”、という会社はすべて該当すると言えるのではないでしょうか。
naobito様
返信ありがとうございます。
はい、きちっとしてる会社は多いと思います。
それが今の日本を築き上げてきたのですし、でも仰られらるように業績が良くないのにトップの変わらない会社、また、いかにも業績が良いかのように粉飾している会社が問題なのですね。